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東京地方裁判所 昭和55年(行ウ)134号 判決 1985年6月20日

原告 服部和彦

被告 東京税関長 ほか一名

代理人 古谷和彦 大平武男 ほか一二名

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告東京税関長が関税定率法二一条三項に基づき原告に対し昭和五五年三月二九日付でした別紙物件目録(一)記載の物件が輸入禁制品に該当する旨の通知処分を取り消す。

2  被告国は原告に対し、別紙物件目録(二)記載の郵便物を引き渡せ。

3  訴訟費用は被告国の負担とする。

4  2項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

1  主文同旨

2  担保を条件とする仮執行免脱の宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和五五年三月ころフランス国に滞在中の原告の実子岡本文一より別紙物件目録(一)記載の物件(以下「本件雑誌」という。)を内包する別紙物件目録(二)記載の郵便物(以下「本件郵便物」という。)の送付を受け、右郵便物はそのころ東京空港郵便局に到着した。ところが同局係官は、関税法(昭和五五年法律第七号による改正前のもの、以下「法」という。)七六条三項に基づき、そのころ被告東京税関長(以下「被告税関長」という。)に通知したので、同被告は同条一項但書に基づき税関職員に本件郵便物を開披させ、本件雑誌について検査(以下「本件検査」という。)をさせたうえ、関税定率法(昭和五五年法律第七号による改正前のもの、以下「定率法」という。)二一条三項に基づき昭和五五年三月二九日付で原告に対し、本件雑誌は定率法二一条一項三号にいう風俗を害すべき物品に該当するとの理由で同条三項の規定に基づく通知(以下「本件通知」という。)をした。

原告は右通知を不服として昭和五五年四月一一日法八九条に基づき被告税関長に対し異議申立てをしたが、被告税関長は同年六月三日左記理由により右申立てを棄却する決定をし、右決定は同月六日原告に到達した。

本件雑誌は女性の陰部を明らかに表現した写真が多数掲載されており、我が国の国民性や現在の社会事情等からして、いずれもわいせつ性を有するものと判断され、したがつて、定率法二一条一項三号に規定する風俗を害すべき物品に該当するものと認められる。

更に、原告は、右決定を不服として昭和五五年七月一日大蔵大臣に対し審査請求をしたが、大蔵大臣は同年八月七日左記理由で右審査請求を棄却する裁決をし、右裁決は同月一一日原告に到達した。

本件雑誌は、いずれも女性の露出した性器又は陰毛を明らかに表現した写真が多数掲載されており、これらの写真はいずれもわいせつ性を強く有すると認められる。また、物品そのものがわいせつなものであれば、輸入者の輸入目的の如何を問わず、当該物品は定率法二一条一項三号に規定する風俗を害すべき物品に該当するものと解される。

2  本件通知は、次の理由で違憲、違法である。

(一) 本件通知は、検閲の禁止を定めた憲法二一条二項前段に違反する。

すなわち、憲法二一条二項前段は、「検閲は、これをしてはならない。」と明記している。同条一項が言論、出版、その他一切の表現の自由を保障する旨を宣言したうえに、重ねて右のとおり無条件に検閲を禁止する明文をおいたのは、単に検閲が言論出版の自由にとつて致命的に危険なものであるという理論的認識のみならず、旧憲法下において存在していた諸々の検閲制度を現実に否定し、その再現を一切禁止する趣旨であり、過去の苦い歴史的経験を省みてのことである。したがつて、検閲の概念も右のような歴史的経過を踏まえて設定されなければならない。しかるときは、検閲とは、一定の表現が外部に発表されるに先立つて公権力がそれを審査し、特定の場合にその発表を抑圧しうる制度であると解される。

ところで、<1>法七六条、六七条は、図書等の出版物の輸入につき一般的許可制を定めるとともに、出版物についても、他の貨物に対すると全く同様、輸入に先立ち、事前の税関検査(外国貨物及び郵便物の両者を通じ、輸入手続において税関職員が行う検査を「税関検査」と略称する。以下同じ。)を行うものとし、<2>定率法二一条一項三号は、「公安又は風俗を害すべき書籍」等という漠然、不明確な観念をあたかも、あへん等の麻薬類や偽造貨幣類等と同視して、これを一般的に輸入禁制品と指定すると共に、<3>定率法二一条三項は、税関長が輸入に先立ち行つた事前の税関検査の結果、輸入許可申請にかかる出版物が「公安又は風俗を害すべき書籍」等に該当すると認める相当の理由があるときは、輸入しようとする者に対し、当該出版物につき輸入不許可と同一の法律効果を生ずる通知を発すべきものとしたうえ、<4>更に、右税関規制の違反者に対しては厳しい刑罰を設けて、その遵守を強制しているのである。

右のように、現行の税関規制は、出版物の輸入についても一般的許可制をとつたうえ、輸入許可に先立ち、輸入出版物に対する税関検査を行い、その結果、税関長において、当該出版物が「公安又は風俗を害すべき書籍」等に該当すると認める相当の理由があるときは、税関長が当該出版物につき輸入不許可と同一の法律効果を生ずる行政処分をしなければならないとしているが、これは、輸入出版物について、正に憲法の禁止する検閲を行うことを認めるものにほかならない。したがつて、法及び定率法の右各規定は、行政権による輸入出版物に対する検閲を認めている限度で、規定自体憲法二一条二項前段に違反し、無効であるといわなければならない。したがつて、右違憲、無効の右諸規定を根拠として行われた本件通知も当然違憲、違法といわなければならない。

仮に右税関規制自体は憲法の禁止する検閲に該当しないとしても、被告税関長が法七六条一項但書に基づいてした本件検査は、本件郵便物の内容物たる表現物(本件雑誌)を検査の対象となし、その表現内容を審査したものにほかならないから、まさしく検閲であり、右違憲な検査に基づく本件通知も違法である。

(二) 本件通知の根拠規定たる定率法二一条一項三号は「風俗を害する」というあいまいな概念規定のもとに、広く規制の対象を包括するもので、憲法二一条一項、三一条に違反する。

すなわち、憲法の保障する基本的人権も公共の福祉による制約に服しうるが、規制基準は具体的かつ明確であることを要する。ことに、民主政治の不可欠の前提条件であるところから、他の人権に比して優越的地位を認められている表現の自由に対する規制については、規制基準の明確性が厳しく要求されると解されている。しかるに、現行の税関規制は、「公安又は風俗を害すべき書籍、図画、彫刻物その他の物品」を一般的に輸入禁制品に指定し、これを輸入してはならない(定率法二一条一項三号)とすると共に、右の「公安又は風俗を害すべき書籍」等の物品に該当すると認める相当の理由があるときは、税関長は、輸入しようとする者に対し、当該出版物等につき輸入不許可(輸入禁止)と同一の法的効果を生ずる通知(行政処分)をすべきものとして、極めて抽象的で漠然、不明確な基準によつて行われている。

「公安又は風俗を害すべき」という規制概念は明確であるとすると見解もあるが、これは、出版物の輸入規制を一切税関長の主観的、恣意的判断に委ねることを認容する見解に等しく、このような不明確な規制は、「法の支配」ではなく、「人の支配」を意味することとなるから採用し難い。現行の右税関規制基準は、旧憲法下で用いられていたものを現憲法制定後も、文字通りそのまま引続き用いているのであるが、旧憲法下において、右の基準がどのような出版物の「輸入禁止」「領布、販売禁止」のために公権力によつて適用されて来たかを見れば、右基準の漠然性、不明確性は一目瞭然である。

また、「公安又は風俗を害すべき図画」等に該当するかどうかは、その当時における普通人の社会通念に従つて判断するのであるから、主観的でも恣意的でもないとの反論がありうるが、しかし、「普通人」にしても「社会通念」にしても、それ自体価値概念であり、しかもその内容は変化し、流動的であるので、税関長が客観的かつ明確に捕えることは極めて困難である。のみならず、判例によれば、現実の個人や集団の意識を超えた規範であり、その内容が如何なるものかは結局、一切裁判官の専権に委ねられる性質のものであるとされ、「普通人」「社会通念」は当事者の主張、立証を要しない事項とされている。したがつて、「社会通念に基づく判断」を要件に追加しても、規制基準は依然として漠然、不明確のままであり、一向に具体的かつ明確なものとはならないのである。

以上のとおり、右の税関規制の基準は極めて不明確である。したがつて、出版物等に対する現行の税関規制は、表現の自由に対する事前規制の基準が具体的かつ明確であることを要求している憲法二一条一項に違反すると同時に、出版物の輸入禁止は表現の自由に対する重大な制限であるので、自由の制限につき、具体的かつ明確な基準による適正な手続を保障する憲法三一条にも違反する。

したがつて、出版物に対する税関規制を定める定率法二一条一項三号は、それ自体その限度で違憲、無効であるから、右規定を根拠としてされた本件通知もまた当然違憲、違法である。

(三) 本件通知は、通信の秘密の不可侵を定めた憲法二一条二項後段に違反する。

本件雑誌は、個人あての通常郵便物中の表現物であるから、信書ないし少なくとも信書に準ずべきものである。したがつて、被告税関長が法七六条一項但書に基づく検査の前提として本件郵便物を開披した所為は、憲法二一条二項後段に違反する。

仮に本件雑誌が右信書ないしそれに準ずべきものに該当しないとしても、右条項は通信の秘密を侵してはならないと明言している。これは信書にとどまらず、広く私人間の一切の通信に対する国家権力の介入を禁止してその秘密を保障したものである。息子が父親にあてた本件郵便物は当然右条項の保障する通信に含まれるものというべきである。

また、同項の「侵してはならない」とは、公権力によつて封書を開披されたり、通信の内容及び通信の存在自体に関する各種の事柄について調査の対象とされず(積極的知得行為)、また、通信従業員が職務上知り得た通信に関する情報を漏洩されないこと(漏洩行為の禁止)をいうと解されるところ、被告税関長が本件郵便物を通常の郵便物集配達過程から離脱させたうえ、本件郵便物を開披してその内容を調査した行為はまさに、右の積極的知得行為にほかならない。したがつて、被告税関長が本件郵便物を開披して検査した所為は、明らかに憲法の保障する通信の秘密を侵害する。

よつて、右違法な検査に基づきされた本件通知も違法である。

(四) 本件通知はプライバシーの権利等を保障した憲法一三条に違反する。

息子が父親にあてた郵便物を配達前に開披して検査すること自体個人の尊厳を傷つけ、原告の私生活におけるプライバシーを国家権力が不当に侵害するものである。

また、原告は、本件通知により本件雑誌を見たり読んだりして楽しむ権利を奪われている。これは、憲法の右条項が個人に保障する幸福追求の権利を風俗を害するという抽象概念を根拠に奪うことにほかならない。個人の幸福追求には、私生活におけるプライバシーが最大限に尊重されることが不可欠の前提である。

したがつて、本件検査はプライバシーの権利等を保障した憲法一三条に違反するものであり、右違法な検査に基づいてされた本件通知も違法である。

(五) 本件通知は、財産権の不可侵を定めた憲法二九条、適正手続を定めた同法三一条に違反する。

本件雑誌は後記のとおり原告の所有に属するところ、国が一方的に個人の財産権の具体的処分又は制限をするには法律の定める手続によらなければならない。しかるに、被告税関長は、本件通知と同時に原告に本件雑誌についての任意放棄書を送付したのみで何ら適正な手続によらないで本件雑誌の引渡しを拒否している。

したがつて、本件通知は憲法二九条、三一条に違反する。

(六) 本件通知には定率法二一条一項三号にいう風俗を害すべき物品の解釈、適用を誤つた違法がある。

(1) 本件雑誌は、いずれもわいせつ性を有するものではない。

なるほど後記被告ら主張のように、本件雑誌には女性の陰部、陰毛が表現された写真が掲載されているが、我が国の現在における国民の健全な社会通念に照らして判断すると、本件雑誌は「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめるもの」ではなく、かつ、「普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道徳観念に反するもの」でもないから、わいせつとは到底考えられない。そもそもわいせつ性の判断は、その判断時における我が国国民の社会通念に照らして行うべきものであることは言うまでもないところ、我が国においても男女の性器、陰毛を表現した写真、フイルム、ビデオ、雑誌、絵画、学術書などが多数公然と展示、放映、報道、頒布、販売されている。また、西欧諸国及びアメリカ、カナダにおいては、すでに性の解放が進み、性交の状態や陰部、陰毛の明らかに表現された出版物、写真等が、未成年者に対する配慮など一定の制約があるとはいえ、原則的には自由に頒布販売されているのが現状である。右諸国の実情の影響は必然的に我が国にも及び、今や我が国の性表現の実情は、右欧米諸国並みであるといつても過言ではない。これはすでに我が国の国民が欧米先進国並みの性意識に目覚め、先進国並みの性風俗を受け入れた結果である。このように我が国における性に関する社会通念は変ぼうをとげていることを認識すべきである。

このような国民の社会通念を無視し、徒らに性を罪悪視して性に関する表現の自由を制限することは、ますます本音と建て前の開きを増すことになる。また、国民は国内で満たされない性表現の自由を国外に求めることにもなるのである。性が自由に表現された映画や演劇の観賞のため大挙して外国に出かけるなどの珍現象がみられるのは、国民の性に関する表現の自由が保障されず、徒らに淳風美俗の固定観念にとらわれて、現在の国民の社会通念を無視する国の態度に由来するものといわなければならない。性を罪悪視し、その表現の自由を抑圧する政策はもはや許されない実情にあるというべきである。性表現の解放が性犯罪の増加をもたらすとの危惧は何ら根拠のないものであることは、欧米諸国の経験上明らかである。

以上要するに、我が国における現在の国民の性に関する社会通念に照らして判断すれば、本件雑誌はいずれもわいせつではなく、したがつて、風俗を害する物品ではないから、これに該当するとしてした本件通知は違法である。

(2) 仮に本件雑誌がわいせつ性を有するとしても、右雑誌は個人あて通常郵便物として送付されたわずか二冊の雑誌であり、また、専ら原告自身の用に供するものにすぎないから、定率法二一条一項三号にいう「風俗を害すべき書籍、図画、彫刻物その他の物品」に該当しないというべきである。

(3) 本件通知は、定率法二一条一項三号にいう風俗を害すべき物品という不明確な規制基準が何ら合憲的に限定解釈されずに適用されているから、違憲、違法である。

すなわち、仮に右規定が不明確であるが故に違憲であるとはいえないとしても、我が国では憲法が明文で法令に対する違憲性審査を裁判所の職責としているのであるから、裁判所は、常に憲法の精神を踏まえた法の解釈、適用をすることが要請されているといわなければならない。ことに表現の自由を抽象的で漠然かつ不明確な文言で制限する法令の解釈、適用に際しては、概念法学的解釈に終始せず、場合によつては、憲法の自由保障の精神に照らして自ら具体的かつ明確な解釈基準を設定し、適用範囲を限定して解釈、適用することも要請されているといわなければならない。現に、学説上、限定的合憲解釈、適用違憲問題が説かれ、また判例上も刑法の「わいせつ罪」の適用につき、種々の形で適用基準の明確化の努力がされつつある。

また、定率法二一条一項三号の「公安…を害すべき…物品」は、「破壊活動防止法四条一項一号二に掲げる文書等に限る」と解するのが通説とされているが、これも右の現われである。しかし、同じ条文中の「風俗を害すべき…物品」の解釈については、右の程度の限定解釈さえ行われていない。しかし、両者はいずれも表現の自由に対する同一条文中の税関規制の基準規定であつて、その具体的かつ明確なものであることを要求される点では、全く同一であるといわなければならない。

したがつて、風俗を害すべき物品の解釈適用に際しては、<1>輸入の目的が頒布、販売、公然陳列であるかどうか、輸入者の年令、職業、輸入物品の外形、数量、輸入方法(小包郵便かどうか等)を考慮すべきであり、<2>その輸入を認めると具体的犯罪の成立が必至に予見される等具体的かつ明白な危険が合理的に肯定しうる事情があるときに限ること、<3>規制内容を一律に輸入禁止とせず、輸入物品の使用目的、方法を限定し、その遵守を条件に輸入を認める等、規制内容に幅をもたせること、<4>出版物に対する規制は必要最小限度に止めること、<5>風俗を害するかどうかの認定基準となる社会通念の内容については、社会の実情を調査して、その内容を客観的に認識、把握すべきものとすること、<6>先進諸国の実情や変化の動向も充分把握して、判断の資料を豊かにすること等が必要である。

しかるに、本件通知は、右の諸点を何ら考慮することなく、不明確な規制基準を型どおりに解釈、適用してされたものであるから、違憲、違法である。

3(一)  岡本文一は、昭和五五年三月ころフランス国において、同国の郵政庁との間に本件郵便物を日本在住の原告あてに郵送することを目的とする郵便利用契約を締結した。したがつて、被告国は、万国郵便条約(昭和五〇年条約第一七号、以下「郵便条約」という。)及び郵便法に基づき、本件郵便物を通常の郵便物集配達過程に戻して右郵便物の受取人である原告に配達交付すべき郵便利用契約上の役務を尽す義務がある。しかるに、被告国は、本件郵便物を違法に郵便物集配達過程から離脱させてこれを留置し、右契約上の義務に違反して本件郵便物を原告に配達交付しない。

(二)  本件雑誌は、岡本文一がパリにおいて買い求めたものであるところ、原告は、昭和五五年三月二四日ころ同人との国際電話による合意により、同人から右雑誌の贈与を受けた。しかるに、被告国は本件雑誌を占有している。

4  よつて、原告は、被告税関長に対し本件通知の取消しを求めると共に、被告国に対し郵便利用契約上の権利に基づき本件郵便物を通常の郵便物集配達過程に戻して原告に配達交付すること又は所有権に基づき本件雑誌の引渡しをすることを求める。

二  請求原因に対する被告らの認否

1  請求原因1の事実中、岡本文一が原告の実子であることは不知。その余の事実は認める。

2  同2の事実中、本件郵便物が雑誌二冊を内容物とする個人あて通常郵便物であることは認めるが、その余は争う。

3  同3の事実中、原告が昭和五五年三月二四日ころ本件郵便物の差出人である岡本文一から本件雑誌の贈与を受けたことは不知。その余は争う。

4  同4は争う。

三  被告らの主張

1  税関検査の構造とその非検閲性について

(一) 通関手続は、関税の公平確実な賦課徴収及び税関事務の適正円滑な処理を図るため、貨物の輸出入の際に必要な規制等を行う手続である(法一条)。この手続は、必要な規制等の権限が最終的に税関という一つの行政機関に集約されているという意味において一元的であり、あらゆる種類の輸出入貨物がその対象となるという意味において包括的である。

したがつて、我が国に輸入される貨物は、当然、それが船舶あるいは航空機による輸入貨物であれ、入国旅客の携帯品であれ、郵便物(但し、信書以外の物)であれ、すべて通関手続を経なければならず、その過程で必要な検査、すなわち税関検査を受ける(法六七条、七六条)。書籍、図画、彫刻物等思想の表現を含む物であつても、それが貨物である以上、他の貨物と同様にその検査の対象となる。

この税関検査は、輸入貨物の性質、数量等を物理的、化学的に検査、鑑定して、当該貨物が申告された品名、課税標準等と同一の物であるか否か、関税に関する法律以外の法律によつて許可、承認等を必要とする貨物であるか否か、原産地を偽つた表示がなされていないかどうかを確認するためのものである。また、その検査の過程において定率法二一条一項所定の輸入禁制品に当たる物品があれば発見され得ることになる。これらの検査は、検査される事柄の性質、前述した通関手続の一元的、包括的性格等を考えると、当該貨物自体に対する即物的観点からのものにならざるを得ないことが明らかである。すなわち、当該貨物の物自体の性状等に着目してなされるものである。したがつて、右検査においては、物自体からはとらえられないような事項、例えば、それに含まれているかもしれない思想の内容、それを輸入することによつて輸入者に生じ得る経済的利害のいかん、輸入者の性向などは問題とはならない。

輸入禁制品は定率法二一条一項の規定によつて法律上当然に輸入を禁止されており、それが輸入申告の対象とされてその申告に対して税関長が許否を決し応答的行政処分をするというようなことは法は予定していない。税関検査の過程で輸入禁制品を発見したときは、税関長は、直接的に、定率法二一条一項一、二、四号に掲げる輸入禁制品については、没収して廃棄し又は積みもどしを命じ(同条二項)、また三号に掲げる物件(以下「三号物件」という。)についてはその旨の該当通知をすることとされており(同条三項)、それ以上に輸入許可手続は進行しない。この該当通知は、輸入申告に係る貨物が三号物件に該当すると認めるとの税関長の判断の結果を表明しそれを輸入者に知らせ、当該貨物についての自主的な善処を期待してなされる、いわゆる観念の通知であるとされている。

輸入禁制品たる三号物件に該当すると認めた貨物について税関長が輸入許可を与えるということは職責上できないから、その許可が与えられないがゆえに三号物件の輸入は通常阻止される。他方、法は、輸入禁制品を輸入した行為について罰則を定めており(法一〇九条)、その罰則の存在によつても三号物件の輸入が抑止されることが期待されている。すなわち、税関検査の過程で税関長が三号物件に該当すると認める物品を発見したときは、該当通知によつて輸入者自身の善処を期待する一方、その輸入の事実を看過し難いと判断するときは、法一〇九条の罪の犯則事件として調査を開始した上、法一三七条ないし一三九条の通告、告発等所定の犯則手続、刑事手続を進めることになる。そして、最終的な段階では、法一一八条による没収によつて三号物件の輸入が阻止されることになる。

このように、法は、通関手続と刑事手続を連動させることにより、三号物件の輸入を適切に抑止することを期しているということができる。

ところで、法が輸入禁制品の輸入の抑止を通関手続と刑事手続の両面から図つているのは、必然的な制度的要請に基づくものといえる。すなわち、実体規定(定率法二一条一項)において、ある物品を輸入禁制品と定めた以上、その輸入の抑止を担保するための何らかの法律上の手段が設けられなければならないはずであるが、罰則を設けず、通関手続における規制のみによつてその目的を達しようとすれば、輸入を抑止する担保力自体が必ずしも十分なものでないと考えられるし、また、通関手続を経ない非合法的輸入についてはそれを抑止することが全く期待できないこととなる。反対に、罰則のみによつて輸入の抑止を図り、通関手続においては輸入禁制品に対する何らの規制をも行わないとするなら、明らかに、前述した通関手続の一元的、包括的性格を崩すことになるのみならず、すべての三号物件の輸入の事例について刑事手続に訴えることは件数的な面から実際上不可能であるので、規制の実効性に限界があるといわなければならないし、また、通関手続において輸入許可を与えられた物品の輸入に対して事後的に罰則が適用されるという不合理な事態が生じかねないのである。要するに、輸入禁制品を定めた実体規定を実効あらしめるには、必然的に、右のような意味における事前規制、事後規制の両面からその輸入の抑止を担保することが必要となるのである。

(二) 刑事手続のほかに通関手続において輸入禁制品に対する何らかの規制を行うことに制度的必然性があることは右に述べたとおりであるが、税関検査の結果輸入禁制品の輸入が抑止されるという効果があることは否定できない。但し、このようにいうとき留意すべきことは、税関検査は、前述したように、あくまでも当該貨物の物自体の性状等に着目したものであり、検査の主体の側からいえば、当該貨物の物自体に対する視覚等のいわゆる五感の作用によつて可能な検査に限られているということである。このことは、思想の表現を含む物品に係る検査についても何ら異なるところはない。

すなわち、思想の表現は、ある物品を媒体としてなされる場合と媒体を通さず直接なされる場合とがある。書籍、図画、彫刻物等を媒体とするものが前者の例であり、口頭の演説等が後者の例である。このように、元来、思想の表現には必ず媒体としての物品を必要とするわけではない。また、媒体として物品を必要とする場合も、物品自体はあくまでも既に形成されている思想の表現のための手段にすぎず、思想そのものでないことはいうまでもない。この思想とその表現の媒体としての物品との区別は、単に観念的なものではなく、実際に可能であり、実社会においても、両者の区別は意識的、無意識的になされている場合が多い。ある彫刻物を例にとつてこのことを見てみよう。作者はそれによつて世界平和に関するある思想を表現しようとしたとする。その彫刻物が思想の表現物であることは何人も否定できない。しかし、他面、その材質、形状、手触り等物自体の性状等に着目するとき、その彫刻物を、それによつて表現しようとする思想から切り離された一個の物品としてとらえることが可能である。例えば、その彫刻物が不安定な形状をしているため観覧者等に危険があるというような場合、それに対して何らかの措置をとらざるを得ないが、それは、その彫刻物を一個の物品としてとらえるところからなされる措置である。その場合、その措置をもつて思想の表現に対する制約であるとして非難する者はいないであろう。

以上述べたように、思想の表現を含む物品に係る税関検査は、当該貨物の物自体の性状等に着目してされるものであつて、それに含まれているかもしれないところの思想の内容には全くかかわらないものである。検閲とは当該公権力の行使が思想の内容を審査するものであることを要するが、税関規制は、既にこの点において検閲性を有していないことが明らかである。

(三) 税関規制は外国貨物の輸入行為自体を規制するものである。そして輸入行為が、それ自体としては、思想を表現し、伝達する行為でないことはいうまでもない。したがつて、外国貨物を輸入することの自由は直ちに憲法二一条一項の表現の自由の枠内にあるということはできない。この点をとつてみても、表現の自由の保障の一手法である検閲禁止の規定がそもそも税関規制に適用される余地があるか否かは、疑問である。

通関手続において輸入者の自由が憲法上問題となる場面があるとすれば、それは、輸入貨物に対する税関検査の過程において当該貨物が三号物件に該当すると認められて輸入許可が与えられなかつたため、その結果として、その貨物に含まれていた思想が輸入者等に伝達されなかつたという場合が考えられる。そして、この場合に問題とされるのは、言論、出版等の能動的な形態の本来の表現の自由ではなく、我が国にいる輸入者等が外国から思想を受容するについての自由、すなわち、論者によつて説かれるところのいわゆる「知る自由」の問題である。

憲法二一条一項の文言、基本的人権の一つである表現の自由が確立されてきた歴史的経緯等を勘案すると、いわゆる「知る自由」が果たして表現の自由に含まれるのか、仮に一般的にはそのようにいえるとしても、あらゆる態様の「知る自由」が言論、出版等の能動的形態の本来の表現の自由と全く同様に等しく憲法二一条一項の保障の対象となるのかについては疑問がある。例えば、電波管理上の理由から外国の短波放送を聴くことが制約された場合、それを、我が国における表現の自由にかかわる問題としてとらえるべきであろうか。憲法上の問題として検討するとすれば、それは、自由な行動の制約という観点から、むしろ、例えば憲法一三条に関する一般的な自由権を制約することになるのかどうかという問題としてとらえるべきものである。これをあえて憲法二一条一項の表現の自由の問題としてとらえなければならないとする必然性、必要性はないといわなければならない。

税関規制と外国貨物に含まれている思想の伝達の制約との関係は、右の外国の短波放送の例に似ているが、重ねて留意すべきことは、税関規制は思想の伝達自体を規制するものではないということである。それは、当該貨物の物自体の性状等の側面から規制するものであるから、仮にそのためにその貨物に含まれている思想の伝達に関し何らかの制約が生ずるような結果になつたとしても、それはあくまでもその規制によるやむを得ない付随的な結果にすぎないのである。

以上のような点からも、税関規制を表現の自由にかかわる問題、そしてその一環である検閲禁止にかかわる問題としてとらえるのは正当でないというべきである。

(四) 該当通知は、当該貨物が三号物件に該当すると認める旨の税関長の判断の結果を輸入者に知らせ、当該貨物についての自主的な善処を期待してなされるものであるが、当該貨物を適法に輸入することができなくなるという法律上の効果を及ぼすものであるとされている。しかし、ここにいう法律上の効果とは、直接輸入を禁止する効果そのものではない。輸入禁止の効果は輸入禁制品の輸入を禁止した実体法規によつて当然生じているのである。このことは、該当通知の有無は法一〇九条の輸入禁制品輸入罪の成否に何ら関係ないことからも理解できる。

このように、該当通知は、直接輸入を禁止する効果を有するものではなく、まして、外国貨物に含まれている思想の発表を禁止するものではない。このことは、思想の表現を含む物品に係る検査は当該貨物の物自体の性状等に着目したものであること、該当通知がなされても当該思想を輸入貨物以外の態様において(例えば電波等によつて)我が国内に伝達することは何ら制約を受けないことからも明らかである。

検閲といい得るためには、公権力が思想の表現に対して発表禁止あるいはそれに類する規制をする場合であることを要するが、税関規制における該当通知は右のように思想内容の発表禁止の効果を有しているものではないことを考えると、税関規制には、この点からしても、検閲性がないといわなければならない。

2  検閲禁止と公共の福祉による制約について

(一) 憲法二一条一項の保障する表現の自由は絶対無制限のものと解すべきではなく、憲法一二条、一三条により公共の福祉の制限の下に立つものと解すべきであり、このことは既に確立した判例の立場である。したがつて、検閲の禁止についても憲法二一条二項の文言上は何らの留保を付されていないが、このことから直ちに検閲禁止は絶対的であつて例外が認められないものと解すべきではなく、一定の場合は公共の福祉の下に許容されるというべきである。そこで、以下、現行の税関検査は、その社会的必要性、制度的必然性、合理性等に照らし、憲法にいう公共の福祉の要請に合致するものであることを明らかにする。

すなわち、三号物件の輸入の抑止を担保するための法律上の手段としては、通関手続における規制と罰則による事後規制の二つが考えられるが、現行の税関検査の制度を欠くならば、<1>外国貨物の輸入の時期及び場所の予測が捜査機関にとつてほとんど不可能である以上、三号物件たる書籍等の輸入は極めて容易となり、<2>違法な輸入が行われた後、その違法輸入が捜査機関により確知されたとしても、それは実害が既に生じた場合が多く、しかも、当該輸入者を究明することも極めて困難であり、<3>外国にある書籍等については、差押え又は没収等に関する我が刑事手続は及ばないこと等の点から、三号物件を輸入禁制品と定めた定率法二一条一項三号の規定は有名無実のものとなるのである。要するに、右条項を実効あらしめるには法一〇九条による事後規制は十分な有効性を有していないというべきである。

次に、現在現実に輸入されようとしている三号物件の多くがいわゆる外国のポルノ雑誌等であることを考えると、もし現行の税関規制を行い得ないとするならば、わいせつ文書等の頒布等を禁止した刑法一七五条の規定の存在意義が大きく揺らぐことになりかねない。

すなわち、法一〇九条と刑法一七五条とは、性的秩序の保持、最小限度の性道徳の維持等の観点において、一部主要な保護法益を共通しているために、一方の規制の粗密は、実際上、他方の規制のあり方、程度に大きく影響することは免れない。例えば、仮にポルノ雑誌等の輸入に対する税関の規制が十分行われないことになれば、それらの物品が輸入された後我が国内の社会に急速に拡散して何人の目にも触れるような状態が現出することは容易に想像できるが、そうなれば、一般にわいせつ文書等の頒布等の行為について刑法一七五条により処罰されるのは、実際上、よほど悪質な態様のものか、一罰百戒的な意味においてなされる場合に限定されることになつてしまうであろう。また、実質的に刑法一七五条を潜脱するような行為がひん発する事態が生じかねないと思われる。例えば、我が国民がわいせつ書籍の版元を外国に置き、国内からの注文に応じて当該物品を注文者の手元にいわゆるダイレクトメールの形で送るといつた行為は刑法一七五条にいうわいせつ文書の頒布販売に該当するといえる(このような行為は刑法一条の国内犯に当たると解される。)が、このような態様の行為について刑法一七五条による処罰を行い得る事例は、証拠の収集保全等の観点から極めて限定されたものとなるであろう。

また、三号物件の輸入に対する規制を法一〇九条の事後規制によつてのみ行うという方法は、次に述べるように、制度的にも極めて無理があり、かつ、現行の税関規制に比して輸入者に与える不利益も大きく、到底合理的なものとはいえない。

このような方法の下では、税関長は、税関検査の過程において三号物件を発見したとしても、当該貨物について所定の関税の納付等通関に必要な法所定の要件が備わつているならば、輸入許可を与えなければならないこととなるが、輸入許可が与えられても当該貨物が輸入禁制品であることには変わりがないから、輸入者が輸入許可に従い当該貨物を国内へ持ち込んだ時点において、税関職員は犯則手続を開始し(法一一九条以下)、場合によつては必要に応じて当該貨物を犯則の現場において差し押える(法一二三条)こととなる。理屈の上では、この場合の輸入許可は、当該貨物が三号物件に該当するかどうかの判断を前提としないでなされたものと解し得るとしても、同一物について先に輸入許可を与えながら、後に輸入禁制品を輸入したことを理由に犯則手続を開始するというのは、輸入者にとつては外国貨物の輸入に関する法的安定性を害され、税関にとつては同一物の輸入に係る規則につき二重の手数をかけなければならないという意味等において、法制度としていかにも不合理なものといわなければならない。

しかも、昭和五五年法律第七号による改正後の現行制度では、税関長の該当通知を不服として行政争訟を提起する道(その過程で第三者機関たる関税等不服審査会(本件当時は輸入映画等審議会)の意見が聴かれる。)が開かれているのであつて、輸入者に対する司法的救済に欠けるところはないのである。

してみると、定率法二一条一項三号の規定を前提とする限り、右のような方法に比して現行制度のほうがはるかに合理的であることは明らかである。

更に、この現行の税関規制の合理性について、検閲の典型的な場合と対比してふえんすると、検閲の典型的な場合は、例えば出版物の場合をとると、出版あるいは頒布販売の前に検閲当局に対して当該出版物を提示の上審査を受けるか、あるいは当局による立入り検査を受けるというものであるが、このような手続は出版物の出版、流通のいわば自然な流れを妨げるものと見ることができ、場合によつては思想表現活動がその形を成す前に闇から闇へ葬り去られかねない危険をはらむものといつてよいが、税関規制の場合には元来思想の表現を含む物品であると否とにかかわりなく、すべての輸入貨物は所定の関税の納付等通関に必要な要件の具備の確認のために税関の検査を経なければならないのであつて、この検査の過程において三号物件に当たると認められる貨物を発見した場合にこれを輸入禁制品として取り扱うとしても、それは、輸入貨物の本来あるべき流れを妨げないという意味において、制度的に自然であると考えられるし、また、その検査の対象は通常既に表現物として外国において不特定多数人の目に届いているものであつて、この点においても、典型的な検閲の場合の対象とは、その置かれている状況が異なつているのである。

以上のような諸点を考えるならば、仮に現行の税関規制が概念的には検閲に当たるとしても、右制度は、右のような社会的必要性、制度的必然性、合理性があり、公共の福祉の要請により憲法上許容されるものといわなければならない。

3  税関検査の基準の明確性について

(一) 現行の税関規制は、憲法二一条一項及び三一条に違反しない。

憲法二一条一項が保障の対象としている「表現」は思想を公表する行為であるが、定率法二一条一項三号が制限している行為は貨物の輸入であつて、輸入行為は外国から我が国に到着した貨物を引き取ることである(法二条一項一号)から、そこに思想を公表する行為が含まれることはあり得ない。すなわち、貨物の輸入について、仮に、当該貨物が外国における何人かの思想を表現したものを含んでいても、あるいは、外国にある表現を摂取する目的を有していても、輸入行為自体が憲法二一条一項が保障する「表現」に該当することがないことは明らかであるから、これを制限したとしても、憲法二一条一項に違反しないというべきである。

また、憲法三一条は「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない。」と規定し、文言上、刑事手続に関する規定であることを明示している上、三二条以下の刑事手続に関する規定の総則的規定として位置づけられているものであるから、当然には行政手続に適用されるものではない。仮に憲法三一条が行政手続に適用されるとしても、個人の生命、身体の自由を奪い、刑罰類似の制裁を科する手続について適用されるにとどまると解すべきであるところ、本件において原告が取消しを求める該当通知が少なくとも右のような制裁を科する手続に当たらないことは明らかであるから、憲法三一条違反の問題は生じないというべきである。

(二) 定率法二一条一項三号の「風俗を害すべき」物品という文言は、不明確なものではない。

すなわち、一般に法規は、規定の文言の表現力に限界があるばかりでなく、その性質上多かれ少なかれ抽象性を有する。これは、輸入禁制品を定める場合においても例外ではなく、輸入禁制品であるかどうかをその根拠法規から識別するには合理的な判断が必要である。そして、輸入禁制品を定める根拠法規が不明確のゆえに税関規制が憲法二一条一項に違反すると認めるべきかどうかは、通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的に当該貨物がその規定の適用を受けるものであるかどうかの判断を可能ならしめるような基準が読みとれるかどうかにより、これを決すべきものである。

被告税関長は、本件雑誌が定率法二一条一項三号に該当する旨本件通知をしたものであるが、本件通知が、同号のうち「風俗を害すべき」物品に本件雑誌が該当する趣旨であることは明らかである。右規定の「風俗」とは「善良の風俗」を指すものであり、善良の風俗とは、我が国の習俗であつて、これに対し社会倫理的な評価を加えた場合に、その見地から是認されるものをいうのであるから、右規定の文言の意味内容自体が不明確であるということはできない。現に、「善良の風俗」の文言は、憲法八二条二項を始めとして、民法九〇条、法例二条、三〇条、民事訴訟法二〇〇条三号等において用いられており、実定法上明確に認知された概念である。そして、右の社会倫理的な評価は、社会一般の健全な常識を基準として行われるのであるから、通常の判断能力を有する一般人において当該貨物が我が国の「善良の風俗」に照らし輸入が禁止されるべきものであるかどうかを判断することが可能であることはいうまでもない。したがつて、原告の主張は前提を欠き、失当である。

ちなみに、表現物の内容を限定する用語として「善良の風俗」又は「善良な風俗」が使用されている法律の例として、公職選挙法一五〇条の二、放送法四四条三項一号、特許法六五条の二第二項四号、一八四条の九第二項五号、実用新案法一三条の二第二項四号、三項、四八条の八第二項五号、三項、意匠法五条一項一号、商標法四条一項七号等が挙げられるが、このように多数の法律によつて「善良の風俗」又は「善良な風俗」の概念が使用されていること自体、右概念の意味内容が決して不明確なものではないことを示しているのである。

被告税関長は、本件通知において、本件雑誌がわいせつ物品であるため定率法二一条一項三号の「風俗を害すべき」物品に該当すると判断したものであるが、少なくともわいせつ物品が「善良の風俗を害すべき」物品に含まれることは広く認識されているところである。

そうすると、「風俗」すなわち「善良の風俗」という文言は、わいせつ物品であるかどうかを判断する場合でも、通常の判断能力を有する一般人の理解において、輸入禁制品該当の当否を判定する基準として、不明確であるということは到底できないから、この意味においても、原告の主張は前提を欠き、失当である。

4  憲法二一条二項後段違反の主張について

原告は、被告税関長が本件通知の前提として本件郵便物を開披して検査した所為が憲法二一条二項後段の保障する通信の秘密を侵害する旨を主張する。

法七六条一項は、税関長は輸出入される郵便物中にある信書以外の物については、税関職員に必要な検査をさせるものとし、同条二項は税関職員は、右の検査をするに際しては、信書の秘密を侵してはならないと規定する。すなわち、法は輸入される郵便物については、信書とそれ以外の物とを区別し、後者についてのみ検査し得るものとしている。そこで被告税関長は、本件郵便物に税関票符(いわゆるグリーンラベル。郵便条約三四条、同条約施行規則一一六条一項)が添付され、そこに内容物として「ma-gazine」と記載され、郵便物表面に「PRINTED MATTER」と記載されていたことから、右郵便物中に信書があるとは認められないと判断して(関税法施行命六六条二項)、法七六条一項但書に基づき内容物の品名、数量等、他法令による許可、承認等の要否等を確認するために本件郵便物を開披し必要な検査を行つたものである。ところで、信書とは特定人がその意思を他の特定人に対し伝達する手段としての文書をいうところ、本件郵便物の内容物は一般に公刊されている雑誌であり、特定人に対する意思を伝達するものではないから、信書ないしこれに準ずべきものに該当しないことは明らかである。

したがつて、本件郵便物を開披した被告税関長の所為に原告主張の違法は存しないというべきである。

5  憲法一三条違反の主張について

原告は、本件通知が憲法一三条に違反すると主張する。しかしながら、同条は、国民と国家機関とが基本的人権の保障について守るべき心構えを示すという性格を持ち、抽象的な法原理を宣言したいわゆるプログラム規定であるから、原告主張の権利の根拠規定とはなり得ないものである。また、仮に憲法一三条に何らかの権利性が認められるとしても、同条に基づく権利については、同条自体が公共の福祉による制約を容認しているのであり、本件税関検査が右の公共の福祉の要請に基づくものであることは前記のとおりであるから、原告の右主張は理由がない。

6  憲法二九条、三一条違反の主張について

原告は、本件雑誌につき所有権を収得したことを前提に、本件通知は憲法二九条、三一条に違反すると主張する。

しかしながら、後記のとおり、郵便物についての所有権が受取人に移動するのは、郵便物が受取人に配達され、これを受取人が受領したときであると解されるから、原告は未だ本件雑誌につき所有権を取得していないというべきである。また、本件郵便物についての所有権のほかに本件雑誌についての所有権を観念することができ、仮にそれが原告に帰属するとしても、本件雑誌が郵便物として差し出された以上は、原告は郵便物の送達を受けるまで、その所有権を主張することができないものといわざるを得ない。したがつて、原告の右主張は失当である。

7  本件雑誌のわいせつ性について

本件雑誌には別表1のとおり女性の露出した性器又は陰毛を明らかに表現した写真が多数掲載されており、これらの写真は、その姿態等を考慮すると、現在の社会通念に照らし、いずれもわいせつ性を有することが認められ、本件雑誌はいずれも一冊の書籍として一体をなしているのであるから、全体としてわいせつ性を有するものといわざるを得ない。したがつて、本件雑誌は法二一条一項三号に規定する風俗を害すべき物品に該当することが明らかである。

他方、原告が現在の社会通念の徴ひようとして掲げるテレビによる出産場面の放映、ヌバ展、週刊誌による女性のストリーキングの報道写真等は、原告の主張する社会通念を何ら裏付けるものとならない。これらは医学知識の普及の一手段か、未開の部族の生態の報告か、奇矯な社会事象の報道にすぎないものであつて、これらと本件雑誌のようないわゆるポルノ雑誌とを比較すること自体無意味である。

また、原告は、欧米諸国では性の解放が進み、我が国もこれら先進国並みの性意識を受容していると主張するが、元来、性について先進後進を観念すること自体が根拠がなく、国ごとにその国民性と社会環境に応じた社会通念を有してしかるべきものであつて、他国を模倣する必要はないのである。

8  本件雑誌の定率法二一条一項三号該当性について

原告は、本件通知は、物品の輸入目的を覚知することなく一律に物品そのものがわいせつであれば、風俗を害する物品に該当するとしている点が違法であると主張する。しかしながら、輸入されようとする物品が定率法二一条一項三号所定の物品に当たるか否かの判断は、そのための特別の検査が予定されているわけではなく、あくまでも法六七条又は七六条による輸入貨物の検査の一環としてされているにすぎないものである。そして、思想の表現を含む物品に係る検査も当該貨物の物自体の性状等に着目して実施されるものであるから、そのような検査から、当該物品が今後一般人に頒布等されるかどうか、仮にその疑いがあるとしてもどのような具体的態様において頒布等されるかなどということを予測することができるはずがないのである。輸入物品が輸入後一般人に頒布等されるかどうか等は、輸入者の内心的な意思、輸入者の性向等にかかわることであるが、税関にはこれらの事項について探知するための権限も機能も与えられてはいないのである。

したがつて、原告の主張は、法律が予定している税関での検査のあり方を無視した主張であつて到底採り得ないものである。

また、原告は、定率法二一条一項三号の風俗を害すべき物品の解釈について、輸入の態様、数量、輸入後の書籍等の使用目的、使用態様等を考慮する必要がある旨を主張している。

しかし、わいせつ物が頒布、販売される源泉が国内にある場合、例えば、ある個人が国内においてわいせつ物を購入した場合を想定すると、必ずしも購入した個人を処罰しなくとも、その販売元を検挙、処罰するとともに、当該犯罪に供されたわいせつ物を没収することによつて、わいせつ物が一般の家庭や社会にはん濫し、性的な秩序が乱され、最小限度の性道徳を維持することが困難になるような事態を阻止することが可能である。ところが、わいせつ物の頒布、販売元が国外にあつて、これが輸入される場合には、国外にある頒布、販売元に対し、我が国の刑事捜査権が及ばないため、頒布、販売元を処罰しその供給源泉を断つという方法によつて、わいせつ物が、我が国の一般の家庭や社会にはん濫することを阻止することは困難である(輸入禁制立法があるにもかかわらず、昭和五七年の該当通知件数が一万九三八八件にのぼり、物品数にして映画フイルム八三一巻、写真、スライド三七九九枚、書籍七七四六冊、雑誌五五万九一三五冊、その他八万三九三六点の多数に及んでいる実態をみても、風俗を害すべき物品に対する輸入禁制を解除すれば極めて大量のわいせつ物が我が国内に流入し、性的秩序、社会教育等の上から重大な弊害をもたらすことは容易に想像することができる。)。

したがつて、このような事態が生ずるのを阻止するためには、わいせつ物を輸入しようとする者の輸入行為一般を禁止せざるを得ないのである。

更に、原告は、輸入されるわいせつ書籍等が明らかに一般人に頒布、販売、公然陳列されようとしているなど、事前にこれを規制しなければ、性的秩序の保持、最小限度の性道徳の維持という社会的利益に対し具体的かつ明白な危険が合理的に肯定しうると認められる場合に限つて、通関手続において事前にこれを規制することが許されると主張する。

しかしながら、税関規制につきいわゆる明白かつ現在の危険の原則を適用することは、税関規制の法律的な構造及び具体的な輸入貨物の検査のあり方等に対する理解を欠いた観念的な議論である。

すなわち、当該貨物が三号物件に当たるか否かの判断は、そのための特別の検査が予定されているわけではなく、あくまでも法六七条又は七六条による輸入貨物の検査の一環としてなされているにすぎないものである。そして、思想の表現を含む物品に係る検査も当該貨物の物自体の性状等に着目して実施されるものであるから、そのような検査から、当該貨物が今後一般人に頒布等されるかどうか、仮にその疑いがあるとしてもどのような具体的態様において頒布等されるかなどということを予測することができるはずがないのである。輸入貨物が輸入後一般人に頒布等されるかどうか等は、輸入者の内心的な意思、輸入者の性向等にかかわることであるが、税関にはこれらの事項について探知するための権限も機能も与えられてはいないのである。要するに、原告の提示するような基準によつて規制の可否を区分することは実際上全く不可能であり、結局、右のような基準は全く有名無実の観念上のものにすぎないといわなければならないのである。

これに対しては、輸入者が輸入を業とする者か否か、あるいは輸入数量等から、一般人に頒布等される否か等を判断し得るとの反論があるかもしれないが、仮にそうだとしてそのように運用すると、全く同一の出版物であつても、輸入者あるいは輸入数量を異にすることにより、輸入許可が与えられたり、与えられなかつたりするという奇妙な事態を招来するし、また、輸入業者であるにもかかわらず個人と仮装し、あるいは数量を分散して輸入するなどして、規制を容易にかいくぐることができるのであるから、右のような反論は現実的かつ妥当な見解とはいえない。

現実問題として、このような基準を税関規制に持ち込む限り、外国を源泉とするわいせつ出版物の輸入は、我が国内の個人あての販売等の形さえ実際上規制できないことになり、実質的には無規制とほとんど変らない状態になつてしまうであろう。そうなれば、我が国の性的秩序を守り、最小限度の性道徳を維持するという公共の福祉の要請は大きくその根底から揺らぐこととなることは火を見るよりも明らかである。

結局、わいせつ物品たる輸入貨物を規制するには、現行のような税関規制が最も合理的な方法であるといわなければならない。

9  被告国に対する請求について

(一) 郵便の利用関係は、郵便の利用に関する申込みと承諾という双方の合意によつて成立する契約関係である。郵便事業は、巨大な組織により、大量の郵便物を簡易迅速かつ公平に処理しなければならないものであるから、郵便物の引受けの都度、個々に契約の内容を定めることは、郵便業務の簡易迅速性にそわないばかりでなく、実際の取扱い上も不可能なことが多いので、その契約内容はあらかじめ定められ、郵便を利用する場合には、何人もこのあらかじめ定められた契約内容によることとされている。すなわち、国は、条約及び郵便法令によつてあらかじめ画一的にその利用条件を定め、利用者はすべてこの利用条件に従つてのみ郵便を利用し得ることとし、各場合によつて任意にその条件を変えることは許されないこととされているのであつて、郵便の利用関係はいわゆる付合契約と解されているのである。

郵便物の送達契約における国(郵政省)の債務は、契約の相手方である差出人に対するものであつて、第三者である受取人に対するものではない。すなわち、郵便物の送達契約は受取人に直接郵便物の配達請求権を取得せしめることを目的とする契約ではなく、受取人が郵便物の配達を受けるのは差出人に対する国(郵政省)の債務の履行としてされた結果にすぎない。したがつて、本郵便物の受取人であるにすぎない原告は、国(郵政省)に対し、その引渡しを請求する何らの債権的権利を有しないものである。

よつて、原告の郵便利用契約上の権利に基づく請求は理由がないというべきである。

(二) 郵便物についての所有権が受取人に移動するのは、郵便物が受取人に配達され、これを受取人が受領したときであると解されるから、郵便物が受取人に到着しない以上、受取人が本件郵便物に対する物権的な権利を取得するいわれはない。

郵便条約五条も、「郵便物は、名あて国の法令に基づいて差し押えられた場合を除くほか、権利者に交付される時までは、差出人に所属する。」と規定し、このことを明らかにしている。同条は、前記郵便の利用関係の性格にかんがみ、郵便物の内容及びその所有権の帰属とは一応別個に右のように定め、郵便物が受取権利者に送達されるまでは差出人に所属するとの一律的な取扱いをすることとしているのである。なお、同条約が郵便物を取り戻し、又はあて名を変更する権利(三〇条一項)、書留郵便物が亡失した場合の損害賠償請求権(四四条三項、四項)をそれぞれ差出人に認めているのは、いずれも右の原則に基づくものである。

したがつて、受取人である原告は、本件郵便物が原告に配達されるまでは、本件郵便物について所有権を有しないものであるから、被告国に対し、本件郵便物についての所有権を根拠として本件郵便物の引渡しを求めることはできない。

また、本件郵便物についての所有権のほかに本件雑誌についての所有権を観念することができ、そして仮にそれが原告に帰属するとしても、本件雑誌が郵便物として差し出された以上は、前記郵便の利用関係の性格に照らして、名あて人である原告は、郵便物の送達を受けるまでは郵便法規に定める手続を離れて、任意に、本件雑誌についての所有権を根拠として被告国に対しその引渡しを求めることはできない。

更に、本件雑誌は、前記のとおり、輸入禁制品であるわいせつ物である。ところで、定率法二一条は輸入禁制品の輸入を禁止しているが、ここにいう「輸入」とは、外国から本邦に到着した貨物を本邦に引き取ることをいう(定率法二条、法二条一項一号)。したがつて、原告がその所有権に基づき本件雑誌の引渡しを請求することは、とりも直さず本件雑誌の輸入を請求することとなるのであつて、このような請求が公序良俗に反し許されないことは明らかである。

ちなみに、郵便条約によれば、名あて国において輸入が禁止されている物品は通常郵便物に入れることを禁じられており(三三条二項(f))、もしも誤つてこれが引き受けられて発送された場合には、その物品の包有を発見した郵政庁の属する国の法令に従つて取り扱うこととされている(三三条三項)。そして、これを受けて外国郵便規則(昭和三四年郵政省令第三号)七五条二項は、このような規定違反の郵便物は差出国に返送する旨を定めているのである。したがつて、輸入禁制品についての所有権は実定法規である郵便条約により右の限度において制限を受けているのであり、このことからも原告の被告国に対する本件雑誌の引渡請求は理由がないことが明らかである。

四  被告らの主張に対する原告の反論

1  税関規制の検閲該当性について

(一) 被告らは、憲法二一条一項の規定する言論、出版その他一切の表現の自由は思想発表の自由を意味し、知る自由を含まないから、税関規制は表現の自由の制度的保障である検閲禁止を定めた同条二項前段に違反しない旨を主張する。

しかしながら、民主制の発展とマス・メデイアの発達、マス・コミニケーシヨンの世論形成への役割の拡大した今日の社会においては、言論出版の自由の重点は、むしろ、読む自由、聴く自由、知る自由、見る自由に移行しており、これらの自由は民主政治の不可欠の前提要件として十分に保障されなければならないのである。ボン基本法は、意見発表の自由権は情報及び思想を求め、受け及び伝える自由を含む旨を明示しているが、我が国の最高裁も報道の自由との関係においてであるが、国民の知る権利を認めているのである。また、我が国でも批准され、昭和五四年九月二一日発効した市民的及び政治的権利に関する国際規約一九条二項にも、「すべての者は、表現の自由についての権利を有する。この権利には、口頭、手書きもしくは印刷、芸術の形態又は自ら選択する他の方法により、国境とかかわりなく、あらゆる情報を求め、受け及び伝える自由を含む。」と明記され、国外出版物を求め、受ける自由が表現の自由の内容をなすことが明らかにされている。

(二) 被告らは、現行の税関規制が抑制するのは貨物の輸入行為自体に対してであり、輸入行為それ自体としては、思想を表現し、伝達する行為でない。したがつて外国出版物を輸入することの自由は、直ちに憲法二一条一項の表現の自由の枠内にあるということはできず、表現の自由の保障の一手法である検閲禁止の規定は、税関規制に適用されない旨を主張する。

しかし、前述のとおり、外国の出版物を入手することは憲法の保障する表現の自由の内容であることは明らかであるし、出版物を「求め、受ける」には必ず輸入の方法によるほかないところ、現行の税関規制の下では所定の税関検査を経て、輸入許可(明示又は黙示の)を得なければならないのであるから、この税関規制は、表現の自由に対する規制であることは明らかである。

(三) 被告らは、税関検査は書籍等に含まれているかも知れない思想内容を検査するのではなく、書籍の性状、数量を物理的、化学的に検査、鑑定して、当該貨物が申告された品名、課税標準等と同一の物であるか否か、関税に関する法律以外の法律によつて許可、承認等を必要とする貨物であるか否か、原産地を偽つた表現がなされていないかどうかを確認するためのものであるから、輸入禁制品に当たるかどうかの検査も貨物自体に対する即物的観点からなされるにすぎないと説明し、この税関検査は、検閲には当たらない旨を主張する。

しかし、出版物については、そもそも右の諸点に関する検査、鑑定や確認等は必要ではない(少なくとも本件郵便物については「PRINTED MATTER」、「magazine」等と記載されていたのであるから、これにより貨物の内容が雑誌であり、非関税商品であることが明白であつた)というべきである。仮に、被告らの主張する即物検査が必要だとしても、税関検査は、あくまでもその限度における即物検査に止まるべきものである。しかるに、被告税関長は、この限度を超え、出版物の内容についての価値判断に必要な事項まで検査を行つたのである。当該出版物が「公安又は風俗を害すべき書籍」等に「該当すると認める相当の理由がある」かどうかは、性質上、出版物の意味、内容と無関係に、表現物の物理的、化学的性状、数量から即物的に感得できる筈はなく、更に出版物の意味、内容にわたる検査なくして正当に判断できるものではないからである。

以上のとおり、書籍等に対する現行の税関検査は、表現物の内容に対する事前審査を含むものであることは明らかである。

(四) 被告らは、定率法二一条三項の該当通知は三号物件に該当する旨の判断の結果を輸入者に知らせ、当該貨物についての自主的な善処を期待してされるものであつて、直接輸入を禁止する効果をもつものではないから、検閲に当たらない旨を主張する。

しかし、税関長が定率法二一条三項の該当通知をし又は更に異議申出棄却の決定又は審査請求棄却の裁決をし、その旨を通知したときは、輸入申告者は、当該貨物(書籍、図画)をもはや国内において見たり、読んだりその他その表現を他人に伝達することが法的に不可能となる制度になつているのである。したがつて、被告税関長が本件につき行つた如き一連の諸手続、すなわち輸入禁制品の税関検査は憲法にいう検閲に当たるといわなければならない。

2  検閲禁止の公共の福祉による制限について

(一) 被告らは、仮に税関検査が検閲に当たるとしても、定率法二一条一項三号、同条三項の規定は公共の福祉の要請に基づき設けられたものであり、右規定自体の合憲性については問題がないと主張する。

しかし、憲法の定める検閲禁止は絶対的であり、公共の福祉を理由として例外的に検閲を認めることができないことは、前記のとおりである。なるほど言論出版の自由という民主制のもとでの基本的自由にも限界のあることは否定できない。しかし、言論出版の自由に対する規制はあくまで事後の制裁という制約に限られ、言論、出版等が外部に現われる以前の段階で権力的に抑えこむことは許されないといわなければならないのである。被告らの主張のように、ここで、単純な公共の福祉論をもちだして解決することは、表現の自由の本質と重要性を見失なつたものといわざるを得ない。この意味で憲法二一条二項前段の検閲の禁止は無条件、絶対的禁止であると解すべきである。これをもし、公共の福祉による事前の制約が可能であるとするのでは、憲法による検閲の禁止はほとんど意味を失つてしまうことになる。税関検査に寛容である論理は、国内の出版物の検閲をも可能にする論理となることができるのである。安易な公共の福祉論は憲法上の禁止一般をも緩和し、絶対に禁止される拷問も犯罪の摘発という公共の福祉のために例外的に許されるといつた論理さえ導くことにもなりかねないというべきである。

また、表現の自由に対する制約原理としての公共の福祉とは、他人の人権との衝突を調整するための、人権の内部的制約を意味する原理と解すべきである。被告らは、公共の福祉を個人の人権の内部的制約とは解さず、「性秩序の維持」とか「善良な風俗の保護」といつた抽象的観念を公共の福祉の内容とし、これによつて人権に対する制約が当然合理化されるものの如く主張するが、これでは旧憲法の下における「法律の定める範囲」における人権保障と異なるところがない。公共の福祉は、他人の人権との調節原理であり、人権の内部的制約と解すべきであるから、公共の福祉による制約は、人権相互の具体的かつ明確な衝突が予想される場合に、具体的かつ明確な基準を定めて、その調整のために最小限度必要として是認されるものでなければならない。

(二) 被告らは、公安または風俗を害すべき書籍等を無条件に我が国に輸入を許すと、我が国の善良な性風俗ないし性秩序を害し、一旦輸入を許可すれば捜査は不可能で、事後的処罰の実効性がなく、書籍等についても麻薬、偽造通貨等の輸入禁制品についてと同様の税関による検閲、輸入不許可が必要であると強調する。

なるほど、風俗や性秩序に関し、国や裁判所が法律の定める一定の限度で規制し関与することは認められていることは事実である。しかし、現代の自由主義的民主国家への発展の過程は、個人、私人の自由獲得とその拡大の歴史であり、国家権力制限の過程である。ことに、古典的自由権については、国の干渉しうる範囲はますます狭められてきており、現在では、そのほとんどは個人の私的自由に任されるに至つているというべきである。衣、食、住に関する習わしにしても、夫婦、親子の生活のあり方にしても、男女の交際や性行為、性表現にしても、法の規制が及ぶのは極めて狭い範囲に限られて来ている。欧米における性表現規制緩和の一番大きな背景としては、思想や趣味や風俗については、国家は極力、干渉を差し控えるという成熟社会の一般的な現象があるが、一九六〇年代を通じて何んでも許される社会=パーミツシブ・ソサエテイという傾向が欧米では顕著になり、いわゆる非犯罪化現象=デイクリミナイゼイシヨンがそれに伴なつて出てきたことも背景の一つである。そして、このような成熟社会の倫理と論理は今日では西欧社会の体制になつているとの指摘があるが、このことは、そのまま、我が国にも当てはまるといわなければならない。このような情況の下では、風俗や性秩序の維持が国や裁判所の職責であるとして、いかに高らかにうたいあげても説得力がないと思料するのである。

風俗や性表現に関する規制は、このような現在の社会的、国際的諸情況を充分に調査し、現在の我が国におけるこれに関する社会通念がどのようなものであるかを謙虚に確認して、根本的に再検討されるべきものと思料する。

また、書籍等はすでに述べた通り、思想表現の手段としてそれ自体その性質上平穏性をもち、何ら具体的法益に対する侵害の危険性を持たず、麻薬や偽造通貨等とはそれ自体全く性質を異にする。したがつて、書籍等とこれらの物を同列に輸入禁制品と指定し、同一の法規制に服せしめることは全く合理的根拠を欠き、極めて不当であるといわなければならない。ことに、書籍等については「公安又は風俗を害すべき」などという抽象的な概念規定を以て禁制品指定を行つていることを考えると、書籍等を他の禁制品と同一に取り扱うことの不合理なことは一層明らかであるといわなければならない。

(三) 被告らは、輸入を許可しておきながら、輸入行為者につき通告処分をしたり、告発したりするのは不合理だと主張するが、極めて疑問である。まず、風俗を害すべき書籍等を輸入した者を他の禁制品を輸入した者と同様一律に処罰(五年以下の懲役若しくは五〇万円以下の罰金)することを予定する法一〇九条の規定そのものに、疑問がある。

次に、「風俗を害すべき」書籍等かどうかは被告らが主張するように即物的に感得することはできないし、するとすれば極めて恣意的とならざるを得ない。したがつて、法一〇九条は構成要件が極めて不明確であり、憲法の保障する罪刑法定主義に悖るものといわざるを得ない。

また、刑法一七五条の合憲性はひとまずおくとして、同条はわいせつ表現物の頒布等対社会的な使用形態のみを処罰しているところ、被告らの主張によればわいせつ物は当然風俗を害する物品に当たると解しているので、法一〇九条は、あらゆるわいせつ物の輸入者すべてを輸入の目的、態様、所持、使用、販売の目的、態様を問わず、一切一律に、しかも刑法より重く処罰しうることになる。被告らの右主張は、このような不合理かつ違憲の疑いの強い法の処罰規定の存在に拘泥してまで、書籍の検閲と輸入不許可を合理化しようとするものにほかならない。

以上要するに、被告らの右主張は、輸入書籍等につき検閲の必要性を強調して、書籍等を麻薬や偽造通貨等と全く同様に取り扱うことにより、被告らが好ましからざるものと考える書籍等を水際で一切阻止しようとするものであつて、表現の自由の尊重よりも取締りの便宜を重視するものであるといわなければならない。

3  憲法二一条二項後段違反について

被告は、信書とは特定人がその意思を他の特定人に対して伝達する手段としての文書であると主張するが、右解釈は狭きに失する。信書は、これに限らず、特定人の認識、観念、感情等を特定人に対して伝達する手段としての文書及び図画を含むというべきである。例えば情報部員の連絡手段としての文書、図画、恋人にあてた、押花や自己のヌード写真の類等も信書であるというべきである。けだし、信書を他の郵便物と区別して取り扱う最大の理由は個人の秘密、私生活に対する不可侵を保護するにあるからである。したがつて、息子が一人暮らしの父親を慰さめようとの気持から原告にあてたわずか二冊の雑誌を内容とする本件郵便物は信書というべきである。仮に信書ではないとしても、本件郵便物は、信書と同様の取り扱いが要請されるものであるから、少なくとも、信書に準ずべきものと言わなければならない。

また、憲法二一条二項後段は通信の秘密を保障するが、この条項は単に被告らの主張する狭い意味での信書の秘密のみを保障したものではなく、広く個人の私生活の保護の精神を宣言したものであると解すべきであり、この条項は憲法一三条の保障するプライバシー保護の特別規定と見るべきである。したがつて、ここにいう「通信の秘密」とは郵便電話の秘密と解し、郵政省の取扱中に属する郵便物、電信電話につき、その実質が信書であるか否かを問わず、すべての官吏による侵害行為から保護されると解するのは当然である。このように、「通信の秘密」はワイマール憲法等にいう「郵便の秘密」も含むとするのが確立された見解である。

原告は、もともと、本件郵便物は郵便法にいわゆる信書、少なくとも右信書に準ずべきものであると解するのであるが、仮にそうでないとしても、本件検査直前までは我が国の郵政省の保管にかかる郵便物であつたことにかわりはない。したがつて、本件郵便物は当然憲法二一条二項後段の保護を受ける対象であることは明らかである。

4  憲法一三条違反について

被告らは、憲法一三条は、プログラム規定にすぎないと主張するが、失当である。

憲法一三条は、人間にとつて最も基本的な生命権を始め、人間の尊厳に不可欠の自由及び幸福追求権を掲げ、その最大限の尊重を国家作用の第一の原則としたこと、本条が文言上明らかに「権利」という言葉を用いておりまた、一四条以下の基本権が制限列挙であるとは解されない点などから、本条は、幸福追求権を個別の基本権をも含む包括的な権利として保障したものと解すべきである。包括的基本権は現代社会の複雑な人間関係の中に生じる問題状況に対応して、重要な意味と作用をもち、各個別の条項で示さない範囲にわたつて、社会の状況に応じて、必要とされる新しい基本権を呼び出す積極的役割を果たすことが期待されるのである。本条で保障された幸福追求権の具体的内容としては、プライバシーの権利、環境権等があげられる。プライバシーの権利は私生活を包括的に保護させる権利ともいうべきもので、その私生活、家族、住居もしくは通信に対し恣意的もしくは不法に干渉されない(国際人権B規約一七条一項)権利を含むのである。原告は、息子の原告あての本件郵便物(専ら私用の雑誌二冊)につき行われた本件検査は、このような原告の幸福追求権(プライバシーの権利)を侵害したと主張するのである。

5  定率法二一条一項三号の解釈適用の誤りについて

(一) 本件雑誌に掲載されている被告ら指摘の写真には、確かに女性の陰毛と一部の写真には女性の外性器の一部と思われる影像がみられる。しかし、右各写真は若い女性の裸の身体全体を被写体としたもので、陰毛や性器の一部と思われる部分をこと更に強調して表現したものではない。したがつて、若い女性の身体の美しさが極く自然に表現された写真であるということができる。

被告らは、本件各写真はその姿態からみていずれもわいせつであると主張しているが、本件各写真は、いずれも衣服をつけた女性にもみられるポーズのものばかりであり、こと更に不自然な姿態や性行為を窺わせる姿態のものは皆無である。被告ら主張のわいせつ性を裏付ける姿態というのは一体どういうものであろうか。女性が手足をそろえて直立している姿態だけがわいせつ性のない姿態であるとでもいうのであろうか。いずれにせよ、姿態の点でみる限り本件各写真は、現に店頭に販売されている雑誌等に掲載されている写真等よりはるかに自然であり、若い女性の健康美を表わしているといえる。

被告らは「露出した女性の性器」という表現を使用するが、この意味も不明確でわかりにくい。本件写真でみる限り、陰毛がよく写つている場合には女性の性器はよく表現されているとはいえない場合が多いが、女性の外性器の一部らしい部分が写つている場合でも女性性器の全貌が窺えるわけではない。露出した女性の性器が表現されている本件雑誌の写真とはどの写真のことであるか不明である。

また、被告らは本件雑誌はポルノ雑誌であると主張するが、被告らは一体何をポルノと解しているのか不明である。女性の陰毛や性器が表現されている写真が掲載されている雑誌はすべてポルノ雑誌であるとの考え方であろうか。性毛、性器の表現されている写真が掲載されているのは雑誌に限らず、美術書、医学書等をはじめ、枚挙にいとまがない。

被告らは、本件写真は、性欲の興奮、刺激をきたすと主張する。しかし、性欲の満足、刺激、興奮をきたすかどうかは人により、年令により、また、表現物をみる場所や一緒にみる人の数や種類や状況により、まちまちであり一概に断定できるものではない。本件雑誌についてみる限り、通常の成人女性がこれをみて被告らの主張するような刺激、興奮をきたすことはあり得ないし、また現在の我が国の成人男性がこれを見た場合もほぼ同様のことがいいうると考えられる。表現物規制の対象としてわいせつ性を判断するにつき、青少年等の性的感受性の強い者を標準にしたり、成人であつても一人秘かにみて楽しむような特殊の場合に受ける刺激等を想定したりすることは正しくないことはいうまでもない。原告は、通常の成人の通念からすれば、本件雑誌はいずれも被告らの主張する性欲の興奮、刺激を来たす表現物に該当しないと確信する。

(二) 被告らは、わいせつ物は当然に風俗を害すべき物品に該当すると主張するが、正当な解釈ではないと思料する。わいせつ出版物であつても、頒布、販売、公然陳列の目的のない所持は刑法上処罰されず、放任行為とされている。これは、実害発生の危険がないばかりでなく、我が国の古くからの風習や各国の実情に鑑みて、最小限留保せざるを得ない自由の領域と考えられた結果にほかならない。

いずれにせよ、それがたとえわいせつであるとしても、頒布、販売の目的のない限り、その入手、所持は許されている。これは、刑法は少なくともわいせつ物の存在自体あるいは、わいせつ物の入手、所持自体が当然風俗を害するものとは考えていないことを意味する。換言すれば、わいせつ物又はわいせつ表現はその表示又は表現の方法、とき、ところ如何によつては他人の権利を侵害し、人々が大切にしている風習やしきたりを乱すことになるとして、所持の目的や行為態様を特定して規制することにしているのである。したがつて、わいせつ物即風俗を害すべき物品と解するのは刑法の解釈としても、定率法の解釈としても正当ではない。風俗を害するかどうかは表現物の意味、内容ばかりでなく、その取扱いをめぐる諸行為の態様如何を抜きにしては判断できない筈のものである。のみならず、風俗を害すべき物品なる概念はわいせつ物より更に広い概念であるから、一層限定的解釈の必要が強く認められるべきである。

しかるに被告税関長はわいせつでないものをわいせつと即断したうえ、単純にわいせつ物即風俗を害すべき物品として本件通知を発したが、これは法の解釈、適用を誤つたものといわなければならない。

(三) わいせつ概念の抽象性、漠然、不明確性から来る当然の結果ではあるが、わいせつ性の色あいないし程度は千差万別でありうる。

同一の性表現物でもそれを見る人により、また、見る動機、目的、見る時、場所、見る方法、態様その他の諸事情如何によつて、受ける性的刺激や「いやらしさ」の有無、程度は、全く異つたものとなりうる。学説、判例上「ハードコア・ポルノ」と「準ハードコア・ポルノ」の区別が提唱されるのもこのことを示すものである。

そこで、本件雑誌に掲載されている被告ら指摘の写真について、わいせつ性の程度という視点からこれを検討してみると、いずれも若い女性一人の単純なヌード写真であり、若い女性の愛らしさ、美しさの表現意図が窺われこそすれ、明らかないやらしさを感得するのは困難であると思料する。本件雑誌はいずれもパリのキオスクで購入されたものであるが、本件雑誌は世上いわゆるポルノ雑誌とか「ハードコア・ポルノ」といいうる類のものではないのである。この程度のものを「ハードコア・ポルノ」と認定しても国際的には勿論のこと国内的にも説得力をもつものとは考えられない。ことに、「LORD」に掲載されている被告ら指摘の一四枚の写真はいずれもいやらしさ等微塵も感じられないものばかりである。しかるに、被告税関長は、その指摘にかかる写真には、いずれも性器、性毛が表現されているとの一事をもつてわいせつ物であり、即当然、風俗を害すべき物品に当たると認定し、右の如き諸事情を一切考慮せず、また、わいせつ性の程度についても一切考慮しなかつた違法がある。

6  被告国に対する請求について

(一) 被告らは、郵便の送達契約における国の債務は差出人に対するもので、第三者である受取人に対するものではなく、受取人が配達を受けられるのは差出人に対する国の債務の履行の結果であるから、受取人である原告は国に対し、本件郵便物の引渡しを請求する何らの権利を有しない旨を主張するが、失当である。

すなわち、郵便事業の利用関係は私法上の契約関係であるが、郵便の送達契約は運送契約類似の契約で、差出人(要約者)と国(諾約者)が受取人を受益者とする第三者のためにする契約であると解すべきである。郵便法は、受取人に損害の検査の立会権を認めたり(郵便法七一条)、受取人を一定の場合に損害賠償請求者と認めたり(同法七三条)、郵便物の開示権を認めたり(同法四一条一項)、受取人の住所変更届に応じて郵便物の転送を認めたり(同法四四条)しているし、また、被告税関長が受取人に対し、郵便物に対する任意放棄書を提出させる取扱いがなされているが、これは受取人が郵便物の内包物につき受益者(権利者)であることを前提としている。これらは、送達契約が受取人を受益者とする第三者のための契約であると解して、はじめてよく理解できることである。

郵便条約や郵便法には、なるほど被告らが主張するように、差出人が権利者であるかの如き規定が多く存在するがこれは、郵便利用の大量性、簡易迅速性、画一的処理の必要性等の観点からされる公法的な特殊的法規制であつて、主として事業者の免責等を必要とする事項に限られる。したがつて、このような特殊的法規制のされていない利用関係はすべて一般私法上の原則に従うのである。したがつてまた、郵便条約五条は郵便物の所有関係を定めたものではなく、郵便物の内容の所有関係は差出人と受取人間の契約等によつて定まるものといわなければならないのである。

(二) 被告らは、仮に、本件雑誌の所有権が原告にあるとしても、それが郵便官署が管理する通常の郵便物集配達過程にある以上、所有権に基づく請求が一切できないと主張するが、失当である。

第一に、そもそも、本件雑誌は被告税関長の本件通知等により、通常の郵便物集配達過程から離脱させられてしまつている。

第二に、所有権が違法に侵奪されて他人に占有されている場合に、所有者が物の不法占有者に対して、その物の引渡し等を請求できることは自明のことである。原告は本件通知がなければ、当然郵便法規の定めるところにより、早期に、本件雑誌の引渡しを受けられたものであるところ、被告国は違法、違憲の本件通知を唯一の根拠として、原告の所有権を侵奪(集配達過程から離脱させた)し、不法に本件雑誌の占有を継続しているのである。国に、他人の所有物の占有を継続する正当な権限があるならともかくも、本件雑誌が通常の郵便物集配達過程にあるというだけの理由で、本件雑誌につき所有権に基づく引渡請求等をすることはできないとの主張は理由がない。

また、被告らは、郵便条約五条の解釈として、本件雑誌は未だ受取人たる原告に送達されていないから、原告が所有権に基づき被告国に対し本件雑誌の引渡しを求めることはできない旨を主張するが、正当でない。

第一に、同条約五条の解釈については、原告も権利者に交付されるまでは、郵政省において便宜上差出人を郵便物の権利者として取り扱うことが許されるという意味に解するのであるが、右の郵政省の取扱いの内容、方法等はすべて国内実定法の定めるところによらなければならない(同条約三三条三項)。しかるに、定率法二一条一項三号に該当する物品については、同条同項一、二及び四号に掲げる貨物と異なり、外国郵便規則七五条二項の定めのほかは、その所有権を制限する国内法規は見当たらない。したがつて、被告国としては、本件雑誌の占有を継続したり、廃棄したりする権限はなく、差出人に返送する方法以外の態様で本件雑誌の所有権を制限することはできないものといわなければならない。

第二に、右の郵政省の免責的取扱いは適法、正常に郵政業務が行われた場合についてのみ認められるものであり、外国郵便物の取扱いそのものが、違法、違憲な場合まで及ぶものとは解されない。したがつて、本件郵便物に対する税関検査や郵便物留置のように、郵便物につき違法、違憲な取扱いがされたような場合には、郵政省の右免責的取扱いをすることはできないといわなければならない。

第三に、同条約五条には、郵便物が「差し押えられた場合を除くほか」と明記されているが、これは、名あて国の法令に基づいて、郵便物につき権利又は権限の行使が明確に表示された場合には、郵政省の免責的取扱いをしてはならないことを明らかにするためである。民事訴訟法及び民事執行法上の保全命令や強制執行、刑事訴訟法上の物に対する強制処分等は法令に基づき、権利又は権限行使のされる典型的場合であるが、勿論これに限られない。しかし、少なくとも国又は、その機関、官署が法令に基づいて郵便物につき明白に権利又は権限の行使を行つたとみられる場合は、すべて同条約五条の差し押えられた場合に当たることは明らかである。したがつて、本件の場合のように郵便物につき通知処分を行い、通常の郵便物集配達過程から離脱させて、被告国の支配下に留置する等の行為を行つた場合には、右の免責的取扱いはできないものといわなければならない。

以上のとおりであるから、原告の所有権に基づく請求にとつて同条約五条は何らの制約になるものではない。

次に、被告らは、本件雑誌はわいせつ物であるから、その輸入を請求することを意味する原告の所有権に基づく請求は、公序良俗に反し許されない旨を主張する。

しかし、そもそも本件雑誌はわいせつ物ではないし、まして風俗を害すべき物品に当たらない。「請求が公序良俗に反する」という意味は必ずしも判然としないが、原告は市民的及び政治的権利に関する国際規約一九条二項も明記するとおり、本件雑誌は外国の出版物として表現の自由の重要な媒体であり、これを本件のような目的、方法、態様で輸入することは、表現の自由の一形態として憲法上保障された範囲に属すると考えるものである。したがつて、原告の本件引渡請求は、本件郵便送達契約上の権利又は本件雑誌の所有権の行使として、いずれも正当である。

更に、被告らは、本件雑誌は我が国において輸入を禁止されている物品であり、郵便条約でも通常郵便物に入れることを禁止しており、かかる外国通常郵便物は差出人に返送することになつている旨を主張する。しかし、何を輸入禁制品とするか、税関検査をどのように行うか、輸入禁制品を内包する郵便物をどう取り扱うか等は、差出国又は名あて国の法令の定めるところによるのである。しかして、定率法二一条一項三号同条三項および右規定に基づいてされた本件通知は、既述のとおり憲法二一条等に違反して無効であるので、本件郵便物は適法な外国郵便物として、郵便法規の定めるところにより、国は受取人たる原告に送達する義務があるのである。

第三証拠<略>

理由

第一被告税関長に対する請求について

一  原告は、昭和五五年三月ころフランス国に滞在中の岡本文一から本件雑誌を内包する本件郵便物の送付を受け、右郵便物はそのころ東京空港郵便局に到着したこと、同局係官は、そのころ被告税関長に法七六条三項に基づく通知をしたところ、同被告は同条一項但書に基づき税関職員に本件郵便物を開披させ、本件雑誌について検査させたうえ、定率法二一条三項に基づき昭和五五年三月二九日付で原告に対し、本件雑誌が定率法二一条一項三号にいう風俗を害すべき物品に該当するとの理由で本件通知をしたこと、原告は右通知を不服として同年四月一一日法八九条に基づく異議申立てをしたが、被告税関長は同年六月三日原告主張の理由により右申立てを棄却する決定をし、右決定は同月六日原告に到達したこと、更に、原告は右決定を不服として同年七月一日大蔵大臣に対し審査請求をしたところ、大蔵大臣は同年八月七日原告主張の理由により右請求を棄却する裁決をし、右裁決は同月一一日原告に到達したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

二  定率法二一条一項三号は、輸入禁制品として、「公安又は風俗を害すべき書籍、図画、彫刻物その他の物品」を掲げ、その輸入を禁止しているが、本件において原告は、自己あての外国からの郵便物中に三号物件に該当すると認めるのに相当の理由がある貨物があるとして、被告税関長から同条三項の規定による本件通知を受け、右郵便物の配達又は交付を受けられなくなつたことを不服として右通知の取消しを求めているので以下、被告税関長のした本件通知の適法性につき順次検討する。

1  法六七条、七六条、定率法二一条一項三号、同条三項等に基づく税関検査による輸入規制は、憲法の禁止する検閲に当たり、憲法二一条二項前段の規定に違反するとの主張について

(一) 憲法二一条が、その一項において表現の自由を一般的に保障しつつ、これと別個に同条二項前段において「検閲は、これをしてはならない。」と特に規定する趣旨は、検閲がその性質上表現の自由を最も厳しく制約することとなるものであることにかんがみ、これについては、公共の福祉を理由として例外を設けることを許さず、検閲を絶対的に禁止したものと解されること、そして、右の憲法二一条二項前段にいう検閲とは、行政権が主体となつて、思想内容等の表現物を対象として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるものを指すと解すべきであること、税関検査の結果、輸入申告にかかる書籍、図画その他の物品や輸入される郵便物中にある信書以外の物につき、それが三号物件に該当すると認めるに相当の理由があるとして税関長よりその旨の通知がされたときは、以後これを適法に輸入する途が閉ざされることとなる結果、当該表現物に表わされた思想内容等は、我が国内においては発表の機会を奪われることとなり、表現の自由の保障の一環としての知る自由が制限されることとなる点において、税関検査が表現の事前規制たる側面を有することを否定することはできないが、税関検査は、事前規制そのものということはできず、また、思想内容等それ自体を網羅的に審査し規制することを目的とするものではなく、特に思想内容等を対象としてこれを規制することを独自の使命とするものではない税関によつて行われるものであつて、思想内容等の表現物につき税関長の通知がされたときは司法審査の機会が与えられていること等を総合して考察すれば、輸入出版物に対する税関検査は、憲法二一条二項前段にいう「検閲」に当たらないものというべきであることについては、さきに最高裁判所大法廷が昭和五九年一二月一二日言渡しの判決をもつて判示したところであつて、当裁判所も右判示するところは、これを採用すべきものと考える。

よつて、原告の憲法二一条二項前段違反の主張は理由がないことに帰する。

(二) 原告は、税関検査自体は憲法の禁止する検閲に当たらないとしても、税関長のした本件検査は、本件雑誌の表現内容を審査したものであるから、検閲に当たると主張する。

しかしながら、右のとおり、被告税関長が三号物件に対してする税関検査は、憲法の禁止する検閲に該当しないものであり、前記争いのない事実によつても、税関長が右一般的な税関検査の域を超えてことさら本件雑誌の思想内容を検査したような事情は見当たらないから原告の右主張は理由がないというべきである。

2  定率法二一条一項三号の規定にいう「風俗を害すべき」との文言は著しく不明確であり、かつ、広く規制の対象を包括するもので、憲法二一条一項、三一条の規定に違反するとの主張について

表現の自由は、特に重要視されるべき基本的人権であるが、絶対無制約なものではなく、公共の福祉による制限の下にあるところ、性的秩序を守り最小限度の性道徳を維持することは公共の福祉の内容をなすものであるから、わいせつ文書等の頒布等は公共の福祉に反するものであつて、これを処罰の対象とすることは表現の自由に関する憲法二一条一項の規定に違反するものでないこと、我が国内における健全な性的風俗を維持確保する見地からするときは、わいせつ表現物がみだりに国外から流入することを阻止することは、公共の福祉に合致するものであつて、表現の自由に関する憲法の保障も、その限りにおいて制約を受けるものというほかなく、本件税関検査によるわいせつ表現物の輸入規制も、憲法二一条一項の規定に反するものではないこと、定率法二一条一項三号にいう「風俗」という用語の意味内容は、多義的であるが、およそ法的規制の対象として「風俗を害すべき書籍、図画」等という場合には、一般法としての刑法の規定を背景とした「風俗」という用語の趣旨及び表現物の規制に関する法規の変遷に徴すれば、定率法二一条一項三号にいう「風俗を害すべき書籍、図画」等を性的風俗を害すべきもの、すなわちわいせつな書籍、図画等を意味するものと限定して解釈することには、十分な合理性のあること、他方、憲法二一条一項の保障する表現の自由は、憲法の保障する基本的人権の中でも特に重要視されるべく、法律による表現の自由の規制についても、基準の広汎、不明確の故に当該規制が本来憲法上許容されるべき表現にまで及ぼされて表現の自由が不当に制限されるという結果を招くことがないように配慮する必要があり、事前規制的なものについては特に右必要性が強いものというべきであるから、表現の自由を規制する法律の規定について限定解釈をすることが許されるのは、その解釈により、規制の対象となるものとそうでないものとが明確に区別され、かつ、合憲的に規制し得るもののみが規制の対象となることが明らかにされる場合でなければならず、また、一般国民の理解において、具体的場合に当該表現物が規制の対象となるかどうかの判断を可能ならしめるような基準をその規定から読みとることができるものでなければならないこと、本件税関検査については、定率法二一条一項三号の「風俗を害すべき書籍、図画」等を前記のとおりわいせつな書籍、図画等のみを指すものとの限定解釈が可能であり、その解釈によつて、合憲的に規制し得るもののみがその対象となることが明らかにされたものということができること、右規定において「風俗を害すべき書籍、図画」とある文言が専らわいせつな書籍、図画を意味することは、現在の社会事情の下において、我が国内における社会通念に合致するものであり、わいせつ性の概念は刑法一七五条の規定の解釈に関する判例の蓄積により明確化されており、規制の対象となるものとそうでないものとの区別の基準につき、明確性の要請に欠けるところはなく、前記三号の規定を右のように限定的に解釈すれば、憲法上保護に値する表現行為をしようとする者を萎縮させ、表現の自由を不当に制限する結果を招来するおそれのないものということができること、したがつて、定率法二一条一項三号の規定は広汎又は不明確の故に違憲無効ということはできないことについては、前記最高裁判所大法廷判決(多数意見)の判示したところであつて、当裁判所も右判示するところはこれを採用すべきものと考える。

よつて、原告の憲法二一条一項、三一条違反の主張は理由がない。

3  被告税関長が本件郵便物を開披した所為は憲法二一条二項後段に違反するとの主張について

(一) 本件郵便物の内容物が別紙物件目録(一)記載の物品(本件雑誌)であつたことは当事者間に争いがなく、<証拠略>によれば、被告税関長は、本件郵便物に税関票符(いわゆるグリーンラベル)が添付され、そこに内容物として「magazine」と記載され、また、郵便物表面に「PRINTED MATTER」と記載されていたため、右郵便物中に信書があるものとは認められないと判断して、法七六条一項但書に基づき内容物の品名、数量等、他法令による許可、承認等の要否等を確認するため本件郵便物を開披し税関検査を行つたものであることが認められ、右認定に反する証拠はない。

(二) ところで、憲法二一条二項後段の規定は、郵便物については信書の秘密を保護するものと解すべきところ(法七六条二項参照)、法七六条一項但書の規定によれば、郵便物に関する税関検査は信書以外の物についてされるのであるから、右規定が憲法二一条二項後段に違反するものでないことは論をまたない。また、本件郵便物の内容物たる本件雑誌は、いずれも特定人から特定人に対する意思を含む意識内容一般の伝達を媒介すべき文書でないことは明らかであるから、法七六条一項但書にいう信書以外の物に該当するものというべきであり、したがつて、右条項に基づき被告税関長が本件郵便物を開披した所為は憲法の保障する通信の秘密を侵すものではないといわなければならない。

(三) よつて、原告の憲法二一条二項後段違反の主張は理由がない。

4  本件通知はプライバシーの権利等を保障した憲法一三条に違反するとの主張について

たとえ原告主張のように憲法一三条が国民の幸福追求権を保障している結果として、国民が自己の意に反してプライバシーに属する情報を公的調査により明らかにされることはないという利益が憲法上尊重されるべきものであるとされているとしても、右のような利益も他の基本的人権と同様に絶対無制限なものではなく、公共の福祉による制約の下にあることはいうまでもない。

本件においては、<1>外国来の郵便物が国内に入るに際し、信書以外の物については適正な関税が賦課徴収される機会が確保されるべきであること、<2>輸入条件を具備していない物品及び輸入禁制品が輸入されないという公共的要請は、郵便以外による輸入の場合と何ら異ならないこと、<3>輸入においては一般に一旦国内に入つてしまうと、或る物品が輸入されたものか否か、如何に輸入されたのかの判定は著しく困難であるから、当該物品が外国来郵便物として国内に入るに際してその入口である税関においてこれを検査する以外には右公共的要請を的確に実現する方法はないこと等にかんがみると、郵便物もこれが関税線を越えて送付される以上、信書以外の物品につき通関手続に服すべきものとすることは公共の福祉の要請としてやむを得ないところである。よつて、被告税関長が、関税額の確定、輸入条件の具備の確認及び輸入禁制品の発見を目的として行つた本件検査は、何ら憲法一三条に違反するものではないというべきである。

5  本件通知は、財産権の不可侵を定めた憲法二九条、適正手続を定めた憲法三一条に違反するとの主張について

本件通知が本件雑誌に関する何人かの所有権に対しこれを剥奪するなどの法的制限を課するものであるとする事実を認めるに足りる証拠はないから、本件通知が憲法二九条、三一条に違反する旨の原告の主張は理由がない。

6  本件雑誌を定率法二一条一項三号にいう風俗を害すべき物品に該当するとした本件通知には、右規定の解釈適用を誤つた違法があるとの主張について

(一) 本件雑誌は、いずれもわいせつ性を有するものではないとの点について

定率法二一条一項三号にいう風俗を害すべき物品とは、わいせつ性を有する物品をいうものと解すべきことは前記のとおりであり、「わいせつ」とは、徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、普通人の性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものをいうと解されるところ、検証の結果によれば、本件雑誌のうち別紙物件目録(一)番号1記載の雑誌(以下「クラブ」という。)は縦二二・三センチメートル、横三〇センチメートルの、英文と写真その他を掲載した表紙とも一〇〇ページからなる中綴じの印刷物であり、同目録番号2記載の雑誌(以下「ロード」という。)は、縦二二センチメートル、横三〇センチメートルの、仏文と写真その他を掲載した表紙とも一〇〇ページからなる中綴じの印刷物であること、「クラブ」には女性の裸体ないしその一部を写した写真が一三九枚(うちモノクローム写真は七八ページ右下、七九ページ上左、上中、上右、九一ページの五枚であり、その余はカラー写真である。)、「ロード」には右同様のカラー写真が三一枚各掲載されていること、右各写真のうち女性の陰部及び陰毛が写つているものは別表2記載のとおりであり、うち、露出した女性の陰部及び陰毛がかなり明瞭に写し出されているものは別表1記載のとおりであることが認められる。

右露出した女性の陰部及び陰毛が明瞭に写し出されている写真は、徒らに性欲を刺激させ、普通人の性的羞恥心を害し、我が国における現在の性風俗の実情からしても、善良な性的道義観念に反するものというべきであり、いずれもわいせつ性を有するものといわざるを得ない。

そして、一冊の書籍の場合、登載されている写真の一部がわいせつ性を有するときは、他の部分は何らわいせつ性を有しないとしても、それらが一冊のものとして編綴されているところから、全体として書籍そのものがわいせつ性を持つに至るというべきである。

よつて、本件雑誌がわいせつ性を有しないという原告の主張は採用することができない。

(二) 本件雑誌は個人あて通常郵便物として送付されたわずか二冊の雑誌であり、また、専ら自己の用に供するにすぎないものであるから、三号物件に該当しないとの点について

定率法二一条一項は「左の各号に掲げる貨物は、輸入してはならない。」と規定しているが、右貨物の範囲について、輸入の手段、名あて人、数量及び輸入しようとする者の輸入の意図、目的、動機等によつて、これを区別する規定は存しない。したがつて、前示のような物件であつても右「貨物」に該当するものと解さなければならないものというべきである。けだし、いかなる目的で輸入されるかはたやすく識別され難いばかりでなく、流入したわいせつ表現物を頒布、販売の過程に置くことが容易であることは明らかであるから、わいせつ表現物の流入、伝播により我が国内における健全な性的風俗が害されることを実効的に防止するためには、単なる所持目的かどうか、輸入者が個人か業者か、輸入物品の数量等により区別することなく、わいせつ表現物の流入を一般的に、いわば水際で阻止することもやむを得ないものというべきであり、したがつて、定率法二一条一項の規定は単なる所持を目的とする場合等には適用されないと限定して解釈することは許されないものというべきであるからである。

よつて、原告の右主張は採用することができない。

(三) 本件通知は、定率法二一条一項三号にいう風俗を害すべき物品という不明確な規制基準が何ら合憲的に限定解釈されずに適用されているから違憲違法であるとの点について

右三号の規定の解釈については、風俗を害すべき物品をわいせつな書籍、図画等を指すものと限定して解釈すべきことは前示のとおりであり、このように解した上でなお本件雑誌が右三号物件に該当することは前記のとおりであるから、原告の右主張は理由がない。

また、原告は、三号物件の解釈適用に際しては、輸入の目的が頒布、販売、公然陳列であるかどうか、輸入者の職業、輸入物品の数量、輸入方法等を考慮すべきであると主張するが、しかし、わいせつ物品に当たる以上、これを輸入する者の輸入目的、職業、輸入物品の数量、輸入方法如何にかかわらず、三号物件に該当するものと解すべきことは、前示のとおりである。

更に、原告は、その輸入を認めると具体的犯罪の成立が必至に予見される等具体的かつ明白な危険が認められる事情があるときに限り、三号物件に当たると限定解釈すべきであると主張する。

しかしながら、我が国における健全な性的風俗を維持確保する見地からするときには、わいせつ表現物がみだりに国外から流入することを阻止することは、公共の福祉に合致するものであるところ、右流入を実効的に防止するためには、原告主張のような場合に限らず、わいせつ表現物一般の輸入を阻止することもやむを得ないものというべきであることは前述のとおりであるから、原告の右主張もまた採用することができない。

(四) 以上によれば、本件雑誌が三号物件に該当すると認めるに足りる相当の理由があるとした被告税関長の認定判断に誤りがあつたとすることはできず、したがつて、本件通知には定率法二一条一項三号の解釈適用を誤つた違法があるとする原告の主張は、いずれも理由がないというべきである。

三  よつて、被告税関長のした本件通知には、原告主張にかかる違憲、違法の事由は存在しないといわなければならない。

第二被告国に対する請求について

一  郵便契約上の地位に基づき本件郵便物の配達交付を求める請求について

<証拠略>によれば、岡本文一は、昭和五五年三月フランス国において同国の郵政庁との間に本件郵便物を日本在住の原告あて郵送することを目的とする郵便利用契約を締結した事実が認められる。また、右郵便物はそのころ東京空港郵便局に到着したが、被告税関長が昭和五五年三月二九日付で原告に対し定率法二一条三項に基づき本件通知をしたことは、当事者間に争いがない。

ところで、法七六条四項によれば、他の法令の規定により輸出又は輸入に関して許可、承認その他の行政機関の処分又はこれに準ずるものを必要とする貨物については、七六条一項但書の検査その他郵便物に係る税関の検査の際、当該許可、承認を受けている旨を税関に証明しなければならず(法七〇条一項)、右証明がされない貨物については、郵政官署は、その郵便物を発送し、又は名あて人に交付しないとされている。そして、三号物件該当通知が行政機関の実質的輸入不許可処分として機能している実態に則して考察すると、本件雑誌は右にいう「行政機関の処分又はこれに準ずるものを必要とする貨物」に該当するものというべきである。そうすると、定率法二一条三項に基づき通知がされた本件においては、右通知が前記説示のとおり適法である以上、名あて人において、郵政官署から配達又は交付を受けることができず、原告は、被告国に対し、本件郵便物の配達交付を求めることができないものといわざるを得ない。

よつて、原告の郵便契約上の地位に基づく右請求は理由がない。

二  所有権に基づき本件雑誌の引渡しを求める請求について

一般に、郵便物として差し出された物品については、少なくともそれが郵便官署の管理する通常の郵便物集配達過程にある以上、名あて人は郵便法規に定める手続によらないで、任意に、当該郵便物の内容物の私法上の権利に基づき、その引渡し等の請求を行うことはできないものと解すべきである。けだし、郵便条約五条が「郵便物は、名あて国の法令に基づいて差し押えられた場合を除くほか、権利者に交付されるまでは、差出人に所属する。」旨を規定しているのは、郵便物の大量性、簡易迅速性、画一的処理の必要性等にかんがみ、郵便物及びその内容物の所有権等実体法上の権利の帰属とは一応離れて、郵便物が名あて人に送達されるまでは差出人に所属するとの一律的な取扱いをすれば足りることとする趣旨であると解されるからである。同条約が郵便物を取りもどし、又はあて名を変更する権利を差出人に認め(三〇条一項)、また、郵便法四三条が「郵便物の差出人は当該郵便物の配達前又は交付前に限り、あて名の変更又は取りもどしを差出郵便局に請求することができる。」旨を規定するのも右と同様の趣旨に基づくものである。

本件においては、本件雑誌を内容物とする本件郵便物が外国郵便物としてフランス国郵政庁に差し出され、東京空港郵便局に到着したが、いまだ原告に配達交付されていないことは当事者間に争いがないのであるから、原告は、本件雑誌の所有権に基づき、被告国に対し右雑誌の引渡しを求めることができないものといわざるを得ない。

原告は、右条約五条による被告国の免責的取扱いは、郵政業務が適法、正常に行われた場合についてのみ認められるのであり、本件のように外国郵便物の取扱いそのものが違憲違法な場合にまで及ぶものではないと主張するが、右取扱いに原告主張のような違法が存しないことは前記説示のとおりであるから、原告の右主張は採用することができない。

また、原告は、本件は同条約五条にいう「差し押えられた場合」に該当するから、免責的取扱いはできない旨を主張するが、本件郵便物が法律の規定に基づいて差し押えられているものでないことは弁論の全趣旨により明らかであり、仮に原告の主張が、本件のように三号物件該当通知があつた場合を右差し押えられた場合と同視すべきものと主張するのであるとしても、このように解すべき理由は全くないから、右主張は独自の見解として到底採用することができないものというべきである。

よつて、原告の所有権に基づく引渡請求は、その余の点を判断するまでもなく、理由がない。

第三結論

以上によれば、原告の被告税関長及び被告国に対する本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 宍戸達徳 中込秀樹 小磯武男)

物件目録(一)(二) <略>

別表1、2 <略>

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